高瀬喜左衛門

きざえもん昔話

番外

弊社会長 高瀬喜左衛門は平成16年12月3日死亡いたしました。

長年のご厚誼に御礼申し上げ、私事ではございますが、 喪主の挨拶を下記に掲載いたしました。

白木屋漆器店 社長 高瀬 淳

本日は、大変ご多忙のなか、父 喜左衛門の葬儀にご参列いただきましてありがとうございました。

父はちょうど十年前に、家の前で交通事故にあいましたが、車のフロントガラスの当たり所も幸いし、九死に一生を得ました。 怪我は完治しましたが、治ると同時に養生もせずに、家族が心配するほどのスケジュールで活動し始めたのが災いして、体調を崩しがちになりました。

そうこうするうちに、パーキンソン病の症状がではじめ、徐々に手足の動きがにぶくなり、話すことも不自由になってまいりました。

しかし、頭の方はいたって問題なく、毎朝、英字新聞を読んでは、娘たちの英語力をためすことを楽しみしておりました。

また最近、主治医で竹田綜合病院の青木院長のご指導で在宅酸素療法を始め、病気ではありますがいたって元気な様子で、家族も安心しておりました。

当日もいたって機嫌よく、夕食を自分の手でゆっくりととっていましたが、もともと筋力の低下もあり、夜の九時直前に、食べ物をのどに詰まらせてしまいました。救急車を手配するとともに、応急処置を試みたのですが、なかなかうまくいかず、竹田病院に運ばれたときには、呼吸が停止している状態でした。

青木院長、渡辺先生以下、スタッフの皆様に3時間以上も懸命の蘇生術を心みていただいたのですが、翌三日、零時二十三分、心臓が停止し、帰らぬ人となりました。今でも夢をみているようです。

懸命に手を尽くしていただいた先生方には、心より御礼申し上げます。

さて、父は生前、自分の葬儀に関しまして、遺言を書いておりました。

「私儀 高瀬喜左衛門は、×年×月×日、死亡いたしました。享年八十×才でした。我が家の家系のなかでは長生きの方であります。生前お世話になりました皆様に謹んでお知らせ申し上げます。

小生の葬儀の方法について、小生のわがままな意見を、イタチの最後っぺみたいなもので、個人臭、ふんぷんたるもの 開陳して大方のご理解をお願いいたします。」という書き出しで始まっております。

家族としましては、愚直にも、この遺言の指示にしたがって葬儀を進めさせていただき、皆様には失礼の儀もあるかもしれませんが、故人のわがままと思いお許し願いたいと思います。

「我が家では、我が家の継続は祭祀権の継続によるものと考えている。我が家の祭祀権を持つ淳が喪主となり実施します。」ということで、葬儀委員長は特にお願いすることなく、葬儀を進めさせていただきました。

「弔辞の廃止 死んだ後まで人物画 月旦評をされるのはカナワナイ。正直な評価なら、恐らくは棚卸になるのが当たり前だからであります。韓愈を怨むよりは弔辞廃止させていただいた方が良い」 弔辞のお申し出をわざわざいただいた方にも、失礼は承知のうえで、弔辞の奉読はご辞退させていただきました。

夕食のお使いも遠慮させていただきましたが、「酒呑みだった小生の弔問者に酒を振舞わぬ手はないと思います。 「故人は銘柄を選ばず喜んで呑んでいました。」 との口上のもとに、銘柄は私どもと親戚関係にある、いわゆる宮森三家の酒を入れたお返しを使う」ということで、愚直にもその指示とおりにさせていただきました。

また多くの皆様から生花、花輪などのお供えをいただきまして、まことにありがとうございました。これにつきましては、「この趣旨からすると、生花、花輪などのお供えなどもご遠慮すべきかもしれませんが、これは遠慮いたしません。思うに、過度の倹約は必ずやデフレ・スパイラルの原因になるからであります」ということで、遠慮せず、お供物を頂戴いたしました。

幸いといいますか、父の遺書は途中で終わっております。失礼な面も多々あるかとも思いますが、父のわがままと思い、お許し願いたいと思います。

父にとりましても、会津高校剣舞会の原稿を、富士通のパソコンの画面に残したままの突然の死でありました。ただ、1ヵ月位前には、大変苦労をかけてしまった松本元収入役にも、いわきまで出かけてお目にかかることができました。また照井久良人遺作展、会津大学の講演会にも出かけました。

この月末には竹田病院で、偶然にも、おさななじみの新城猪之吉様ともお会いし、帰宅してからもうれしそうでした。先月には遠方の親戚ともお会いする機会を得るなど、突然の死ではありましたが、ある意味では、幸せな面もあったかもしれません。

父はまた、いろいろな事業を成し遂げられたのも、多くの皆様の力に支えられたことと、いつも感謝していました。会津中学、会津短大の教師時代には、今の会津を、今の日本を作り支えている方々を担任させていただいたこと、市長時代には、苦労を共にした助役、収入役、わがままを、嫌な顔もせずに聞いてくれた秘書課の方々、社長不在の白木屋を守ってくれた社員達、竹田綜合病院理事長時代の菊地院長や青木院長、会津短大 学長時代の、会津に大学を作る会の方々をはじめ、本当に多くの皆様のお力をお借りしまた。

又父は、皆様に選挙で大変なご迷惑をおかけしたことを、常に気にしておりました。告別式等に車椅子で出かけるのですが、今日は寒いからと家族が止めると、「選挙でとても世話になった」という一言で、私どもは何も言うことができませんでした。父としましても、ご迷惑をおかけしたまま、この世を去ることが一番の不本意のこととは思いますが、皆様には、父に代わりましておわびし、感謝申し上げます。

また、体の不自由な父を最後まで面倒みてくださった主治医の青木先生以下スタッフの方々、掛りつけ医の倉重先生、五十嵐先生にも心より御礼申し上げます。

最後に、父 喜左衛門にいただきました数々のご厚情に感謝申し上げますとともに、残されました我々遺族にも、同様のご厚情をいただきますようお願い申し上げます。

本日は、たいへんご多忙ななか、父 喜左衛門の葬儀にご参列いただきまして、まことにありがとうございました。