解体直前に茶室の簡易調査が出来ました。 攬勝亭茶室覚書(pdf) スマホ用画像版 1頁 2頁 3頁 4頁
(8月号は3記事別にリンクしております)
大正時代の木が片枝折れた変遷がよく判ります。
大正-3と同じ方向で写していますが、池の手前で写すか、
池の向こうに踏み込んで写すかで、景色ががらっと変わって見えています。
大正-1に写る茅葺きの建物を補強して残し、向かって右手奥に瓦葺きの日本家屋、左に茶室(現存)を増築したことがよく判ります。
拡大写真で見ると、瓦葺き家屋部分に玄関が見え、この時代に左手に門が移動したとされていることと符合します。
個人蔵石版印刷などの技法で複数枚作られた物と思われます。
攬勝亭十景の其の一「炙背秋月」なので、他の九景も存在する可能性があります。
画賛に「元会津公別園」と書いてあります。
門が現在地より南で、茶室前の碑が当時から動いていないことなどが判ります。
茅葺きの建物が一棟存在したようです。
個人蔵大須賀淸光による細密な屏風絵です。幕末に描き始められ戊辰直後に完成しています。
豪商の繁栄振りがよく判りますが、庭と思われるものは部分的にしか描かれていません。
攬勝亭が長尾家のものでありながら、藩侯の別園として扱われていた微妙さがあるようです。
個人蔵安積国造神社に生まれ、後に昌平黌教授となった安積艮斎の「艮斎文略続」所収の一文です。
樺太出兵、江戸湾防備で名高い家老丹羽能教を称える内容です。
能教が引退後、攬勝亭に住んだことが同時代人の手ではっきりと書き記されています。
現代語訳はブログ記事でご覧いただけます。
安積国造神社蔵攬勝亭に十景があったことが書かれています。
艮斎によれば「攬勝」と名付けたのは、大学頭林述斎であるとしています。
現代語訳はブログ記事でご覧いただけます。
安積国造神社蔵攬勝亭現地見学会(4月19日用に作られた物)
なお、二ページ目の庭園についての見解は、市側が歴史的経緯を正しく伝えない状況下で書かれた物のようです。
会津若松市 教育員委員会 掲載許可安政6年10月19日に攬勝亭に御成になったとき詠まれた歌
碑自体は、明治になってから建てられたもののようです。
詳しくはブログでどうぞ。
2009年刊行の「福島の歌碑」掲載 著者掲載許可小田山にある家老丹羽能教の墓碑に「攬勝亭」の文字が刻まれています。
碑陰記(墓碑銘)は大学頭林檉宇(ていう)書いたもので、林家のと深い交流が偲ばれます。
全文の訓読はブログでどうぞ。
会津若松市管轄 小田山公園 山頂 田中玄宰墓のすぐ下