明治27年政府は実業教育費国庫補助法を制定し実業教育を奨励した。これを受け明治28年本郷村に窯業徒弟学校設立された。
遅れること3年、明治31年に漆器産業の技術者を養成することを目的として、国庫の補助を受けて、会津漆器徒弟学校が設立された。
現在の市内馬場町五丁目にあった。徒弟学校としては四期の卒業生を送り出している。
授業では、会津の漆器産業の実態に合わせ、木地、塗装、蒔絵各部門に分かれ基本的な技術の学習と実習を行った。およそ各科目一クラス九人程度が入学したが、卒業するのは三名ほどになってしまったらしい。授業料は無料で、生徒には市から補助金が支給されていた。
卒業生は総じて腕が良く後に名工として高い評価を得た人もいる。中でも、第6期生(明治39年卒)の津田得民は昭和期前半を代表する蒔絵師である。
明治35年、若松市は学校用地購入資金を寄付し九月学校設立の許可を受け、建築工事に着手。
明治37年、現在の県立会津工業高等学校所在地に校舎が、完成。生徒を募集し、開校した。これに伴い、両徒弟学校は廃止された。
明治38年には第一回の卒業生を輩出している。
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明治40年代から大正にかけては、皇太子を始め皇族方の台覧が度々あり当時の若松市がいかに力を注いでいたかをうかがい知ることができる。
日露戦争後の不況期に工業学校の主催で新規図案のコンテストがあり、今に続く、錦絵や菊桐朱磨の蒔絵が生み出されたことも忘れてはならない。
昭和23年、戦後の学制改革で県立会津工業高等学校となり漆工科としてその伝統は引き継がれた。
昭和37年、工芸科に名称変更。
昭和61年に募集停止され、その役目をおえた。
昭和四六年、当時の深刻な後継者不足を受けて、工業高校とは別に、会津漆器協同組合連合会は、会津若松市、県ハイテクプラザ(当時は工業試験場)、関係諸機関の参加を得て会津漆器後継者養成協議会を設立し、二年間の研修期間での後継者の育成事業を開始した。
後継者養成の事業は実質的にはこちらに受け継がれたと言えよう。
1期~32期、199名が卒業し、現在会津漆器業界の中核となっている。
平成15年度より、福島県認定職業訓練校 会津漆器技術後継者訓練校に改組。
塗と加飾のコースに分かれ定員4名の隔年募集、研修年限は2年となっている。
2018年時点で60名卒業。職人として経験を積んだ後、訓練校講師となって後輩の指導にあたる例も生まれている。
訓練校教室
卒業制作展
「会津若松市議会史 年表編」(会津若松市議会 平成7年 非売品)
「わが国離陸記の実業教育」(豊田俊雄 編著 東京大学出版会 1982年)
965-8691 会津若松市大町1-2-10
白木屋漆器店内
Tel: 0242-22-0203
Mail:info@shirokiyashikkiten.com
会津塗の工程と主な技法、用具など